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2024/04/18

回想の地1.ハルピン~敦煌~西安~北京 (中国・2000年07月)

ハルピン~敦煌~西安~北京
 
 
   まだ現職中の2000年7月、山形空港 ~ ハルピン空港 ~ 敦煌 ~ 西安 ~ 北京 と、中国の世界遺産をめぐる旅をしました。 山形県は中国の黒龍江省と姉妹州の関係にあり、山形空港と黒龍江省のハルピン空港を結ぶ便の恒常化が課題となっています。そんなことで、県が支援するツアーには、休みを気にすることなくおおっぴらに参加できました。
 
 
 ハルピン 黒龍江省の省都で人口は590万人

 
  
  陽関 (敦煌)
   敦煌は、中国の西の玄関口といわれるシルクロードのオアシス都市。西方からもたらされた文化は、すべてこの敦煌を経由して中国各地へと伝えられ、中国の物資はここでラクダの背に載せられ西域へと運ばれた。 

  
 
   莫高窟 (敦煌・世界遺産)
  莫高窟は、敦煌市の東南17km鳴砂山の東斜面に開鑿された仏教石窟、上下数段に大小734もの窟がある。現存する最古の窟は北涼時代 (397~439年) のもので、以後、元代まで1000年にわたって造営が続けられた。しかし1524年、西域の勢力が強まったことで明王朝はこのあたりを放棄、敦煌は王朝の版図の外となって莫高窟は砂に埋もれ、いつしか人々の記憶から忘れられた。

 莫高窟をふたたび歴史の舞台に登場させたのは、敦煌を売った男として世に知られる道士である。この道士は荒れ果てた莫高窟に住みつき、1900年、現在蔵経洞とよばれる窟から5万点の経典や古文書、仏画を発見した。彼はこの発見を役所に届けたが相手にされず、その後、英仏露日の調査隊に安価で売り渡してしまったのである。 


 
 
   西城門 (西安)

 
 
 兵馬俑博物館 (西安・世界遺産)
  兵馬俑杭は秦始皇帝陵の東側1kmあまりのところにある。俑とは古代中国において、人の死後の生活を助けるために埋葬された人物や動物の像のこと。兵馬俑の総数は7000体以上あり、これらは始皇帝の死後の生活を守るために埋葬された軍隊と考えられている。
 

  
 
 万里の長城 (北京・世界遺産)
    万里の長城は、東は河北省の渤海湾を臨む山海関から、西は敦煌に近い甘粛省の嘉峪関まで、険しい山脈や渓谷を越えて築かれた、世界最長にして最大の城壁。中国では古くから、北方の異民族など外敵の侵入に備えて、烽火台や防御壁が各地につくられてきた。

  紀元前221年、中国を統一した秦の始皇帝は、北方の遊牧民族に対する防衛を強固にするため、燕、趙などがつくった北部の長城を修築連結し、現在の甘粛省東部に至る長城を完成させた。その後、漢の武帝によってさらに西方へ拡張され、北魏など歴代王朝で増築が繰り返された。

 現存する長城のほとんどは明代(14~17世紀)に築かれたもので、始皇帝当時の遺構は残っていない。東の山海関から西の嘉峪関まで、主要部だけでも約3,000kmに達し、二重三重になっている部分や分岐する行路を含めた全長は約7,000km。明代以前に築かれたものも含めた総長はおよそ5万kmに及ぶ。
 

 
 
  故宮 (北京・世界遺産)
   故宮は古くは紫禁城とよばれ、明・清両王朝の政治の中枢となった巨大な宮廷建築軍である。1406年、明の永楽帝が南京にあった宮殿をモデルとして造営に着手し、1420年に最初の完成をみた。以降、改修や改築を加えつつ、清朝最後の皇帝溥儀が廃帝となるまで、およそ500年にわたり24代の皇帝がここを居城にした。

 東西753m、南北961m、72万平方㌔という世界でも類例のない広大な敷地に、およそ800棟からなる、建築総面積15万平方㌔の建物が甍を連ねる。周囲を高さ10mもの城壁が囲み、城外には幅52mの濠がめぐらされている。宮殿は、公的な場所である「外朝」と、皇帝が日常政務を行い寝起きをする「内廷」の、大きくふたつに分けられる。 (以上小学館「世界遺産」を参照) 


 

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