回想の寺266.万松院
長崎県対馬市・2012年5月19日
対馬藩主菩提寺 万松院
地図
墓地は、山門のわきから百雁木とよばれる132段の石段を上ったところにあった。樹齢数百年の鬱蒼とした杉林が茂り、上段には義智以来の14人の藩主とその正室、中段には朝鮮外交で有名な貞国ほか、下段には藩主の側室などが眠っている。対馬藩は10万石の格式だったが、壮大な墓地は大藩なみといわれ、国の史跡に指定されている。 (長崎県のHP・対馬観光協会のパンフ参照)

万松院は天台宗の寺院で対馬藩主の菩提寺。元和元 (1615) 年に、宗家20代義成が19代義智を弔って創建した松音寺を、元和8年その法号にちなんで万松院と改めた。元禄 ~ 享保の大火で伽藍は山門を残し焼失、現在の建物は明治期のものである。
墓地は、山門のわきから百雁木とよばれる132段の石段を上ったところにあった。樹齢数百年の鬱蒼とした杉林が茂り、上段には義智以来の14人の藩主とその正室、中段には朝鮮外交で有名な貞国ほか、下段には藩主の側室などが眠っている。対馬藩は10万石の格式だったが、壮大な墓地は大藩なみといわれ、国の史跡に指定されている。 (長崎県のHP・対馬観光協会のパンフ参照)
※宋 義智 (そう よしとし)
鎌倉時代から対馬を統治していた宗家の第19代藩主。小西行長の娘マリアと結婚し、自らもダリオという洗礼名をもつキリシタン大名だった。秀吉の命による朝鮮出兵、関ヶ原の敗戦にともなう小西行長の処刑 ~ キリスト教の破棄 ~ マリアとの離婚、朝鮮との和平交渉など苦悩に満ちた生涯を送った。朝鮮との国交回復の功を徳川家康に認められ、対馬藩初代藩主となる。
案内板
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