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2023/04/15

智頭宿のまちなみ

鳥取県智頭町・2023年3月31日

因幡街道の宿場町 智頭宿
地図

 3月31日の7時30分、岡山県津山駅前のホテルを発ち ~ 県立津山高校本館を見学 ~ 満開の津山城跡を散策 ~ 国道53号 ~ 黒尾峠 ~ 国道53号 (44km・60分) ~ 鳥取県智頭町石谷家駐車場 ~ 石谷家を見学し智頭宿のまちなみを散策

 近世、智頭町は因幡街道最大規模の宿場町として栄えていた。鳥取藩初代藩主池田光仲が、参勤交代の宿を因幡街道 (智頭往来) の智頭宿と決めてから、12代池田慶徳の文久2 (1862) 年までの214年間に、178回この智頭宿を往来している。

 智頭宿は、参勤交代など上方への主要道となっていたが、明治になってからは若桜の戸倉越えが主要道となり、因美線の開通もあいまって因幡街道の重要性は低下していった。そして今は、智頭往来に沿って諏訪酒造、米原家、石谷家などがわずかに点在するのみで、ひっそりとした静かな佇まいの街道筋となっている。(いらかぐみ「七ちょめ」さんのHP参照)


 因幡街道 (智頭往来) のまちなみ
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 米原邸? 
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 消防屯所
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 諏訪神社
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 興雲寺
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石谷家住宅 (国指定重文)

 智頭宿の中央に位置する石谷家は古くからの屋号を塩屋といい、元禄時代の初めころ (1691年) に鳥取城下から移り住み、本拠を構え分家をつくり繁栄した。塩屋が大庄屋に選ばれたのは明和9(1772) 年、伝三郎からである。文政5(1822) 年以降は大庄屋を分家や国米家に譲り、もっぱら地主経営宿場問屋を営んだ。

 明治に入り、伝九朗は地場産業の振興を図りながら、学校建設や道路改修など篤志家として町の発展に寄与した。明治30年代は伝四郎が山林経営農民金融を発展させ、衆議院議員に選出されるなど政治家としても活躍する。因美線の開通 (大正12年) にあたって私財を投じて完成に導くなど、地域社会の発展に多大な貢献をした。 (ふるさと振興財団のパンフ参照)


 石谷家住宅  冠木門の入口
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 石谷家住宅の土間
  
高さ14mの吹き抜け空間、松の巨木を用いた豪壮な雰囲気を醸成している。 ここは出入りの人と家人との情報交換の場でもあった。大黒柱が太い!!!
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 かまど  床を一段掘り下げている
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 雛 壇
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 畳廊下
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 中 庭
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 和室応接
 
 8畳の書院座敷で、L字型に濡れ縁がまわる。床柱を立てない変わった造りで、欄間には石谷家座敷を鳥瞰した図柄が彫り込まれている。
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 新建座敷
  
天井材には奈良の春日杉、床柱には屋久杉の笹杢、床壁は和紙の袋張りの書院造。江戸時代からの池泉式庭園が取り入れられ美しい。
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 茶室と庭園
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 庭園の池
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 太鼓橋
  
吹き抜け空間を太鼓橋で渡らせる珍しい造り、シオジ材の木目が美しい。
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 石谷家住宅の見取り図
石谷家住宅見取図


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