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2024/02/09

回想の花40.鶴ヶ城の桜 (会津若松市・2015年4月19日)

桜に埋もれる 鶴ヶ城

   会津若松市のシンボルの鶴ヶ城は、室町時代初期の至徳元(1384)年に、葦名直盛東黒川館として造営したのが始まりとされている。城といっても当時は、天守閣はなく「館」程度のものだった。

   その後、伊達政宗をはさんで蒲生氏郷が豊臣秀吉の命で会津を治め、七層の天守閣を築いた。黒壁で、織田信長の居城・安土城のようだったとも伝えられている。江戸時代、地震で被害を受け再建した天守閣は現在と同じ五層だった。

   幕末の戊辰戦争では官軍の猛攻に耐え、難攻不落の名城と称えられたが、明治7(1874) 年に政府の命令で取り壊された。現在の天守閣は昭和40年 (1965) に復元されたもので、内部は博物館になっている。 (会津若松観光ビューローのHP参照)

  鶴ヶ城の桜は満開 ... この日、熾烈な戊辰戦争の攻防でその名を天下に知らしめた名城は、所狭しと咲き乱れる艶やかな桜の花に包まれた。


青空に映える白亜の天守閣 (東側の廊下橋方面から)
 戊辰戦争で有名なこの城は明治7(1874)年に取り壊されたが、昭和40(1965)年に5層の天守閣に復元される。そして、平成13年に南走長屋と干飯櫓を復元、さらに、平成23年には赤瓦葺替工事を終え幕末の鶴ヶ城の姿に生まれ変わった。
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 椿坂方面 (北側) から
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 梅坂方面 (西側) から
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 南走長屋方面 (南側) から
    南走長屋は表門から続き帯郭と本丸を隔てる重要な位置にある。走長屋とともに表門を守り、本丸に敵が侵入するのを防いだと考えられている。
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 千飯櫓 
 干飯櫓は城内にある11の二重櫓のなかで最も大きな櫓で、干飯など食糧の貯蔵庫として使
  われていた。
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 青空に映える桜と天守
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茶室・麟閣
 天正19(1591)年、千利休は秀吉の不興を買い切腹を命じられた。時の会津城主・蒲生氏郷は、秀吉の怒りが一族に及び、利休の茶道が絶えるのを懸念する。そして、利休の子少庵を会津にかくまい、千家の再興を秀吉に願う。少庵がこの恩義に報い建てたのが、茶室「麟閣」と伝わる。
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 武者走
    太鼓門の奥には、太鼓門の上に兵を昇降させるための石垣(武者走)が残されている。
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 石垣に映える
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 水面に映える桜
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 朱塗りの廊下橋
  廊下橋は本丸から二の丸へ通じる朱塗りの橋で、加藤明成の大改修まではここが大手口だった。葦名時代には屋根のついた廊下造で「廊下橋」と呼ばれた。
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  背景に残雪の磐梯山
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荒城の月の詩碑
  明治31 (1898) 年、28歳の土井晩翠は東京音楽学校の求めに応じて「荒城の月」を作詞する。そのとき、二高在学中に訪ねた若松城址をモチーフにし、仙台の青葉城でも稿を練ったという。この詩碑は、昭和22年に晩翠夫妻出席のもと除幕された。
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 お花見の場所は確保済 (^.^)
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 鶴ヶ城平面図

鶴ヶ城


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