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2024/01/28

回想の花28.霞ケ城公園の桜 (福島県二本松市・2018年4月5日)

霞ケ城公園の桜
 
  奥州探題の畠山氏が応永11(1404)年、白旗ヶ峰の山頂に城を築いたのが二本松城の始まりである。本丸直下には、野面石と荒割石を用いた穴太積の大石垣が残されている。畠山氏は天正14(1586)年、伊達政宗によって滅ぼされた。伊達氏支配の後、会津領主となった蒲生氏・上杉氏・蒲生氏・加藤氏の城代が置かれた。

 寛永20(1643)年、丹羽光重が幕命により白河藩から10万石で二本松へ入部。10年余の歳月をかけて城内・城下(郭内)・城下町を整備、それまで混在していた武家屋敷・町屋・寺社を完全に分離した。その際、山腹の三ノ丸にあった侍屋敷を城下に移し、本丸の性格をもつ二本松城を造営。慶応4(1868)年戊辰戦争で落城するまで丹羽氏の居城となった。 (二本松市教育委員会のパンフ参照)

  現在は県立霞ケ城公園となっており、春は城山に1800本の桜が咲き誇り (日本桜の名所100選)、秋には全国的に知られる「二本松の菊人形」の会場となる。5日、城山は満開だった。



 二本松少年隊群像
  戊辰戦争激戦地・大壇口における少年隊の奮戦姿と、我が子の出陣服を仕立てる母の姿を描く。勇敢に戦った二本松少年隊だが、会津の白虎隊に比べあまり世に知られていない。戊辰戦争後、二本松藩の関係者が少年らの戦いについてほとんど語らなかったからという。

 戊辰戦争の戦況が悪化するなか、22歳の西洋式砲術師範の木村銃太郎を隊長に12歳~17歳の少年62人が各要所へと派遣された。城下防衛の要所である大壇口には、木村隊長に率いられた25人が出陣した。少年たちは正確な砲撃で善戦したが、新政府軍の激しい攻撃により木村隊長以下8人が死んだと伝わる。出陣した62人のうち戦死者14人、負傷者7人を数えた。  (二本松市教育委員会のHP参照)

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 箕輪門
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 三ノ丸上段
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 薄紅色が青空に映える
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 茶室・洗心亭
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 霞 池
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 るり池の水面に写る桜
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 笠 松
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 天守台へ
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 天守台から
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 安達太良の山なみを望む
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 眼下に見る旧安達町方面
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 眼下に見る二本松市街方面
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