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2023/09/12

回想の社281.高千穂神社 ~ 飫肥城

宮崎県高千穂町・2012年6月2日

天孫降臨伝説 高千穂神社
地図

 祭神は日向三代とよばれる、日本神話で重要な役割を果たした神々で、高千穂皇神社として「続日本記」に記されている。平安期は十社大明神とよばれるようになり、高千穂郷八十八社の総杜となった。

 明治6 (
1873) 年に三田井神社と改称、さらに明治28 (1895) 年になって高千穂神社と改められた。境内には娚杉や推定樹齢800年の秩父杉がある。また、毎晩20時から「高千穂神楽」が奉納されている。


 社殿の全景
  現在の本殿は、明和7(1770) 年に延岡藩内藤氏が造営したとされている。平成16年に国の重要文化財に指定された。
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 拝 殿 
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    本 殿 
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 夫婦杉
  境内には2本の幹がくっいた杉の巨木があり、この周りを恋人や夫婦が手をつないで3回まわると、縁結び・子孫繁栄・家内安全の願いがかなうという。
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 秩父杉  源頼朝の命で秩父の畠山重忠が代参し、その折に植えたとされる。 
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 推定樹齢800年、樹高55m 
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天岩戸神社
 
 天照大神 (アマテラス) を祀る神社。社殿の背後を流れる岩戸川の断崖に、弟スサノオの乱暴に怒って隠れたという洞窟 (天岩戸) がある。また、天照大神が天岩戸にこもったとき、八百万の神々が集ったという天安河原もあった。 


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宮崎県高日南市・2012年5月30日

飫肥城 (百名城)
 
 6代伊東祐持のとき、足利尊氏より日向国都於郡(とのこおり)に所領を与えられ、そこに移り住む。そして伊東氏はこの城を本拠に勢力を拡大、16代義祐のときに島津氏の支配下にあった飫肥城を攻め取る。しかし、天正5(1577) 年島津氏に敗れて国を失い、豊後国に落ちた。

 その後、伊東氏が大名として復活するのは、豊臣秀吉に仕えた義祐の子・祐兵が天正15年の九州平定で功績をあげ、飫肥城を与えられてからである。以降280年余、伊東氏14代が飫肥藩五万一千石を治めた。現在は、大手門や御殿などが復元され、歴史資料館や城下町も見学できる。(飫肥城下町保存会のパンフ参照)


 案内板 
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 大手門 
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 漆喰の土塀
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 歴史資料館
  飫肥藩伊東家やその家臣に伝えられてきた、甲冑や刀剣、武具や古文書など飫肥藩ゆかりの歴史資料が展示されている。
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 飫肥杉 
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