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2023/09/18

回想の城287.今帰仁城跡

沖縄県今帰仁村・2012年9月6日

今帰仁城跡 (なきじんじょう・世界遺産)
地図

 今帰仁城は、沖縄県の北部にあるグスク (石垣で囲まれた城郭) で、琉球王国に統一される前の三山時代、北部一帯を支配していた北山王の居城だった。琉球王国が成立してからは、首里王府から派遣された監守が常駐した。監守が引き上げた後は、祭りを行う場所として残された。
 
 このグスクは13世紀の築城と推定され、石灰岩の石塊がそのまま積み上げられている。城壁が自然の地形に合わせて美しいカーブを描き、10の城郭を形成。その長さは1500mに及び、スケールの大きさは首里城に匹敵する。城内には王座や祭祀場などもあり、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されている。
 
 本土出身のボランティアガイドの方から、1時間以上も詳細なご説明をしていただきました。ほんとうにありがとうございました。m(__)m 


 
今帰仁城跡は世界遺産

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    平郎門
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 古くからの通路
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 カーザフ    カーは川や泉を、ザフは迫で谷間を意味するという。
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 大 隅    戦時に備え兵馬を訓練した場所と伝わり、もっとも高い石垣が築かれた。
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 大 庭  大庭を取り囲むように正殿、北殿、南殿が配置され、行事などに利用された重要な広場だ。
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 御内原  城で仕えた女官の生活の場所と伝えられ、城内でも神聖な場所となっている。 
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 石 垣 
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 ボランティアガイドの話では、当初からの石垣と復元された石垣が連続しているという。
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 マップ
今帰仁城マップ


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2023/09/17

回想の園286.識名園

沖縄県那覇市・2012年9月8日

琉球王家の別邸 識名園 (世界遺産)
地図

 
1799年に造営された琉球王家最大の別邸で、首里城の南にあることから「南苑」とも呼ばれた。王族の静養の場であり、中国皇帝の使者である冊封使 (さっぽうし) をのをもてなす迎賓館としても利用された。
 
  園の面積はおよそ1万2千坪で、池のまわりを歩きながら景色を楽しむ廻遊式庭園となっている。日本の諸大名が競って造るようになった造園形式だが、池に浮かぶ島には中国風の東屋「六角堂」やアーチの石橋が配され、中国・日本・琉球の意匠を融合した美しい庭園だ。
 
  1941年に国の名勝に指定されるが、沖縄戦で壊滅的な被害を受けた。1975年から20年の歳月をかけ、ようやく現在の姿に復元される。2000年3月に国の特別名称に指定され、同年12月には世界文化遺産に登録された。 (那覇市教育委員会のパンフ参照)



 世界遺産の碑
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 番 屋   鬱蒼とした樹木の中にひっそりと建っている使用人の住まい
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 正 門  王族と来賓専用で、こうした屋根付門は格式ある屋敷にのみ許された。
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 通 路   緩やかな曲線を描いて平坦な石畳の道が続く
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 有徳泉
  清冽な水を湛え池の水源ともなっている。琉球石灰岩を沖縄独特の「あいかた積み」にしている。
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 御 殿  御殿は赤瓦屋根の民家風、当時は上流階級のみが許される格調高い造りだ。
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 御殿から眺める庭園
  池の中ほどに小島があり、その両側に中国風アーチ型の石橋が架かっている。
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 石 橋  手前の小さい石橋はでこぼこしていて、自然の石灰岩をそのまま利用している。
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 六角堂  池の中の小島に建てられ、御殿から見ると水に浮かんでいるように見える。
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 マップ
識名園のマップ


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2023/09/16

回想の城285.首里城跡

沖縄県那覇市・2012年9月4日

首里城跡 (世界遺産)
地図

 沖縄本島では、12世紀以降各地に豪族が誕生し、グスクと呼ばれる砦を築き勢力を争った。14世紀には本島南部、中部、北部を拠点とする3つの勢力が争う三山時代に突入する。やがて、1429年に南部出身の出身の尚巴志が三山を統一して琉球王国が誕生した。琉球王国は、中国をはじめ日本や東南アジア諸国と積極的に外交を推進し貿易を行い、海洋国家へと発展。16世紀の初めには奄美 ~ 宮古 ~ 八重山まで勢力を広げた。
 
 しかし1609年、幕府の命を受けた薩摩藩が琉球に侵攻し首里城を占拠。以降270年、琉球王国は中国と徳川幕府をともに盟主とする、微妙な国際関係の中で存続する。明治新政府は1872年に琉球王国を琉球藩として国家体制に編入、1879年には琉球処分により藩を廃し沖縄県を設置した。こうして琉球王国は終焉を迎える。 
 
 首里城は、尚巴志が1406年に琉球統治の居城として以来、最後の国王・尚泰が1879年明治新政府に明け渡すまで、およそ500年にわたり琉球王国の政治・外交・文化の中心として栄華を誇った。1945年の沖縄戦で全焼した首里城は、本土復帰20周年 (1992年) を記念して復元された。そして2000年12月、中国と日本の築城文化を融合した独特の建築様式には高い価値があるとされ、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界文化遺産に登録された。 (首里城公園管理センターのパンフ参照)

 2019年10月31日未明、正殿内部から発生した火災により、正殿をはじめとする9施設が焼失する。そして、11時間にわたり燃え続けた後に鎮火された。出火原因は、正殿1階の電気系統のトラブルが有力視されている。


 円覚寺跡    琉球における臨済宗の総本山で王族の菩提寺
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 守礼門
  16世紀半ばの建立とされ、扁額にある「守禮之邦」とは「礼節を重んじる国」の意味で、中国の冊封使に対するメッセージ。
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 園比屋武御嶽石門  琉球石灰岩で造られた門で、国王が外出するとき安全を祈願した礼拝所。
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 世界遺産の碑   この門は世界遺産の構成資産となっている 
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 龍 樋
  瑞泉門の手前にある湧水で王族の大切な飲料水、冊封使が訪れた際には宿泊先まで届けられた。
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 漏刻門   門の名は、櫓のなかにある水時計で時刻を計ったことに由来する。
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 首里城正殿
    琉球王国最大の木造建築で首里城のシンボル。14世紀末の創建とされ、国王や王族がここで政治や儀式を執り行った。
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二層三階建
 正殿を二層三階建とする建築様式は日本や中国に類例がなく、中国の宮廷建築と日本の建築スタイルを融合し琉球独自の意匠にまとめている。国王の象徴であるの装飾が随所に施されているのも特色。
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 書院   国王が日常の執務をした建物で、冊封使などの接待にも使われた。
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 庭 園
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 下庫理の御差床   国王が政治や儀式を行う場 (1階) の王座
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 大庫理の御差床   王妃や身分の高い女官たちが使用した空間 (2階) の王座 
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 マップ
首里城マップ


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2023/09/13

回想の園282.集成館跡 ~ 仙厳園

鹿児島市・2012年5月30日

西欧の科学技術 集成館跡 (世界遺産)
地図

   27代斉興のときに園地の拡張が行われ、28代島津斉彬は隣接地に集成館を建築した。19世紀、英・仏・蘭などの西欧列強はアフリカやインドを経て極東アジアに進出してきた。いち早く時代の潮流を察知した斉彬は、積極的に西欧の科学技術を導入し、薩摩藩の工業化・近代化を計ろうとしたのである。博物館「尚古集成館」では薩摩切子の製造を見学することもできる。


 案内板
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 150ポンド砲
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 島津家の家紋 
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鹿児島市・2012年5月30日

島津家の別邸 仙厳園

 仙巌園は、桜島を築山 (遠景) に、錦江湾を池 (中景) に見立てた壮大な借景庭園である。江戸初期、19代薩摩藩主の島津光久が別邸を構え築庭したもので、中国龍虎山の仙巌にちなんで「仙巌園」と名付けられた。日本を代表する大名庭園のひとつである。

 薩摩はわが国の南の玄関口にあり、この地を治めてきた島津氏は、琉球王国を介して積極的に中国の文化を受容してきた。そのため、仙巌園は日本庭園でありながら、随所に中国の作庭手法を取り入れている。
 
 後苑には、中国の儀礼にちなむ曲水の宴を催した「曲水の庭」が築かれた。さらに、その後ろに中国から輸入した孟宗竹を移植、「江南竹林」が広がっている。孟宗竹は、この仙巌園から日本各地に広まったという。(仙厳園のパンフ参照)


 正 門
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 獅子乗大石灯籠 
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 桜島のビューポイント
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 御殿とカキツバタ 
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 御殿とツツジ
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 ここで大河ドラマ「篤姫」のロケが行われた 
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 曲水の庭 
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 江南竹林 
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 「篤姫」のロケ地 
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マップ
仙厳園散策図


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2023/09/11

回想の城280.岡城跡 ~ 滝廉太郎記念館

大分県竹田市・2012年6月5日

荒城の月 岡城跡 (百名城)
地図

   岡城は大野川支流の合流地点、川岸から切り立った断崖絶壁の上にある。豊後武士団の棟梁・緒方三郎惟栄 (これよし) が源平の戦いで平家滅亡に貢献し、文治元 (1185) 年にこの城を築いたと伝えられている。その後、歴史に登場するのは天正14 (1586) 年。ときの城主で弱冠18歳の志賀親次は、薩摩の島津義弘率いる軍勢に囲まれ、圧倒する攻撃を受けながらも城を守り抜く。以降、岡城は難攻不落の城として名声が高まった。
 
 文禄3 (1594) 年以降は中川秀成が岡藩城主となり、さらに堅固な現在の城郭に整えた。そして明治を迎えるまでのおよそ280年間、13代に渡って中川氏の居城となる。しかし、明和8(1771) 年に城下で発生した火事が、城にまで延焼し焼失。明治4 (1871)年、全国の城と同じように城郭は全て取り壊され、城は荒廃していく


 明治34 (1901) 年、荒廃したかつての名城は全国に知られるようになる。土井晩翠が作詞し、滝廉太郎が作曲した「荒城の月」が中学唱歌で採用されたからだ。この曲は、廉太郎が12歳から2年間暮らした竹田市の岡城跡をモチーフにしたといわれている。(竹田市のパンフ参照) 


 案内板
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     標 柱 
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 古大手門跡 
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 石 垣 
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    石 段
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  急峻な地形
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 本丸跡 
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 二の丸跡に立つ瀧廉太郎の銅像 

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 遠くに霞む九重連山
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 マップ
岡城マップ



回想の館280・大分県竹田市・2012年6月5日

荒城の月 瀧廉太郎記念館
地図

 この記念館は、不朽の名作「荒城の月」で知られる作曲家、瀧廉太郎が12歳から14歳まで暮らした屋敷。館内には写真や手紙、直筆の譜面などが展示され、廉太郎の生涯を紹介したビデオ (15分程度) を見ることができる。
 
 廉太郎の父親は内務省勤務で転勤が多く、少年期を山紫水明の竹田の地で過した。岡城は絶好の遊び場で、四季に移ろう自然の中で音楽の天分を育んだ。廉太郎はここで音楽の道へ進むことを決心し、小学校を卒業後に東京音楽学校 (現在の東京芸大) へ進学した。
 
 しかし、ドイツに留学中に結核を発病、両親が暮らす大分市で療養中に、23歳10ヶ月の若さで生涯を終えた。 (竹田市のHP参照)


 玄 関 
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    庭
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  洞 窟 ? 
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 廉太郎の銅像 
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 ジャーナリストの故・筑紫哲也さんは廉太郎の縁者 
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