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2023/09/15

回想の寺284.斎場御獄 ~ 玉陵

沖縄県南城市・2012年9月8日

斎場御嶽 (セイファウタキ・世界遺産)

   御嶽 (うたき) とは、南西諸島に広く分布している聖地の総称である。斎場御嶽は、琉球開びゃく伝説に登場する琉球王国最高の聖地御嶽の中には6つのイビ(神域)があるが、なかでも大庫理 (ウフグーイ)・寄満 (ユインチ)・三庫理 (サングーイ) は、いずれも首里城内にある建物や部屋と同じ名前だ。当時の首里城と斎場御嶽との深い関わりを示すものだろう。

 はるかな琉球王国時代、国の吉凶を占う儀式などがここ執り行われた。なかでも、最大の行事が聞得大君の就任式である「お新下り」だ。斎場御嶽は、聖地巡拝の行事を今に伝える東御廻り(アガリウマーイ)の参拝地として、現在も多くの人々から崇拝されている。2000年12月、世界遺産に登録された。 (南城市観光協会のパンフ参照)


 案内図
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 大庫理 (ウフグーイ) 
  御門口から登っていくと左手に見える最初の拝所。「大広間」という意味で前に祈りの場がある。
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 寄 満 (ユインチ)
  王府用語で「台所」の意味だが、貿易の盛んだった当時の琉球では、世界中から交易品が集まる「豊穣の場」と解釈されている。
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 鬱蒼と茂る亜熱帯林
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 チョウノハナ
  斎場御獄の重要な拝所のひとつ。新たに就任した聞得大君は、壁に香炉を奉納して国の守護を祈願したと伝わる。
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 三庫理 (サングーイ)
  2本の鍾乳石と三角形の空間の突き当たりの部分は、それぞれ遥拝所となっている。
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 琉球王国最高の聖地
  垂直に切り立った岩肌に巨岩が倒れるようにして寄り添い、三角形の洞門を形成。金製の勾玉や中国の青磁器などが数多く出土していることから、重要な祭祀の場だったことがうかがえる。
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 久高島 (神の島) 遥拝所 
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沖縄県那覇市・2012年9月4日

玉 陵 (たまうどぅん・世界遺産)
地図

 玉陵は1501年、尚真王が父の尚円王を改葬するために築き、その後第二尚氏王統の陵墓となった。墓室は3つに分かれ、中室は洗骨前の遺骸を安置する部屋となっている。創建当初の東室は洗骨後の王と王妃、西室には墓前の玉陵碑に記されている王族が葬られた。

 全体の造りは、当時の首里城正殿をモデルにした石造構造物になっていて、墓域は2,442㎡。沖縄戦で大きな被害を受けたが、1974年から3年余の歳月をかけ修復され、往時の姿を取り戻している。2018年12月、構造物として国宝に指定され、2000年12月には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録された。


 全 景 

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 東 室
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 玉陵奉円館 
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 館内の展示
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 館内の展示
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2023/09/12

回想の社281.高千穂神社 ~ 飫肥城

宮崎県高千穂町・2012年6月2日

天孫降臨伝説 高千穂神社
地図

 祭神は日向三代とよばれる、日本神話で重要な役割を果たした神々で、高千穂皇神社として「続日本記」に記されている。平安期は十社大明神とよばれるようになり、高千穂郷八十八社の総杜となった。

 明治6 (
1873) 年に三田井神社と改称、さらに明治28 (1895) 年になって高千穂神社と改められた。境内には娚杉や推定樹齢800年の秩父杉がある。また、毎晩20時から「高千穂神楽」が奉納されている。


 社殿の全景
  現在の本殿は、明和7(1770) 年に延岡藩内藤氏が造営したとされている。平成16年に国の重要文化財に指定された。
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 拝 殿 
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    本 殿 
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 夫婦杉
  境内には2本の幹がくっいた杉の巨木があり、この周りを恋人や夫婦が手をつないで3回まわると、縁結び・子孫繁栄・家内安全の願いがかなうという。
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 秩父杉  源頼朝の命で秩父の畠山重忠が代参し、その折に植えたとされる。 
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 推定樹齢800年、樹高55m 
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天岩戸神社
 
 天照大神 (アマテラス) を祀る神社。社殿の背後を流れる岩戸川の断崖に、弟スサノオの乱暴に怒って隠れたという洞窟 (天岩戸) がある。また、天照大神が天岩戸にこもったとき、八百万の神々が集ったという天安河原もあった。 


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宮崎県高日南市・2012年5月30日

飫肥城 (百名城)
 
 6代伊東祐持のとき、足利尊氏より日向国都於郡(とのこおり)に所領を与えられ、そこに移り住む。そして伊東氏はこの城を本拠に勢力を拡大、16代義祐のときに島津氏の支配下にあった飫肥城を攻め取る。しかし、天正5(1577) 年島津氏に敗れて国を失い、豊後国に落ちた。

 その後、伊東氏が大名として復活するのは、豊臣秀吉に仕えた義祐の子・祐兵が天正15年の九州平定で功績をあげ、飫肥城を与えられてからである。以降280年余、伊東氏14代が飫肥藩五万一千石を治めた。現在は、大手門や御殿などが復元され、歴史資料館や城下町も見学できる。(飫肥城下町保存会のパンフ参照)


 案内板 
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 大手門 
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 漆喰の土塀
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 歴史資料館
  飫肥藩伊東家やその家臣に伝えられてきた、甲冑や刀剣、武具や古文書など飫肥藩ゆかりの歴史資料が展示されている。
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 飫肥杉 
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2023/09/10

回想の寺279.臼杵石仏

大分県臼杵市・2012年6月6日

臼杵石仏 (国宝)
地図

 臼杵石仏は、岩凝灰の岸壁に刻まれた60余体の磨崖仏群。平安後期から鎌倉期にかけて彫られたとされているが、誰がどのような目的で造営したのか分からず、今なお多くの謎に包まれている。昭和55年から14年に及ぶ保存修復が行われ、長い間頭部のみの姿で親しまれた古園石仏中尊の大日如来像が胴と一体となる。そして平成7年6月、臼杵石仏59体が磨崖仏では初めて国宝に指定された。
 
 木彫りと見まがうばかりの見事な彫刻技術と仏の数は、他に類を見ることはなく、文化遺産として内外で高い評価を受けている。なかでも中尊の大日如来像は、日本の石仏を代表する最高傑作と称賛されている。(臼杵石仏事務所のパンフ参照) 


 阿弥陀三尊像    平安後期頃の作。中尊阿弥陀如来像はどっしりとした量感があり、毅然とした表情は彫刻技術の冴えを感じさせる傑作だ。
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 如来三尊像  中尊に金剛界大日如来、右に釈迦如来、左に阿弥陀如来が並び、台座には願文や経巻を納めたであろう穴があった。平安末期頃の作。
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 如来三尊像  中尊の阿弥陀如来はホキ石仏第1群の中心的な存在で、眉・目・髭を墨で描いた静まった量感あふれる顔。平安後期頃の作。
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 地蔵十王像
  中尊に地蔵菩薩をすえ、冥府にあって亡者の罪を裁き救済する十王を左右に5体ずつ配している。錫杖を持たず左足を立てている地蔵菩薩は古い様式で珍しく、光背の彩色唐草紋も残っている。鎌倉期の作。
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 山王山石仏  中尊に大きな如来坐像、左右に脇尊としての如来座像を配した珍しい形式。邪気のない童顔が心を和ませてくれる。「隠れ地蔵」とも呼ばれる平安後期頃の作。
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 古園石仏  以前は落ちた仏頭が台座の上に安置されていた。保存修復の際に仏頭も復位され、昔日のみごとな姿に戻った。
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 中尊の大日如来像  切れ長の目にひきしまった口元が端正で気品あふれる表情をつくり、各方面から限りない称賛を受けている。 
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 臼杵石仏拝観マップ
臼杵石仏マップ


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2023/09/09

回想の寺278.真木大堂

大分県豊後高田市・2018年9月18日

六郷満山 真木大堂 
地図

 真木大堂 (国指定重文) は、かつて馬城山伝乗寺 (まきさんでんじょうじ) とよばれた六郷満山最大の寺院で、7つの末寺と36の坊を有していた。国東半島に点在する天台宗の寺院と同様に、八幡神の化身とされる仁聞菩薩により養老2 (718) 年に開基されたと伝えられている。しかし、700年ほど前に火災により焼失し、詳細な資料は残されていない。

  江戸時代に建てられた本堂に加え、昭和40年代に新築された収蔵庫のなかには、本尊の阿弥陀如来像をはじめ、不動明王立像、大威徳明王像、二童子立像、四天王像の9体 (国指定重文) が安置されている。これらの仏像は、平安時代から中世にかけて花開いた六郷満山の仏教文化を伝えるもので、本尊の阿弥陀如来の表情は慈愛に満ちている。 (宗教法人真木大堂のHP参照)


 現在の収蔵庫 (右側の建物)

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 真木大堂 (国指定重文・江戸時代の建築とされる旧堂)
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古代文化公園

  国東半島には六郷満山文化の遺産として、宝塔、五輪塔、板碑など多くの石造文化財が残されている。だが、これらの文化財は半島全域の寺院や山岳地帯に散在しているので目にする機会は少ない。そこで真木大堂の境内に遷仏され、古代文化公園として整備された。

  なかでも、国東塔とよばれる宝塔はこの半島だけのもので、基礎が二重または三重に組み立てられた台座には、蓮華座がつけられた相輪の先端の宝珠を囲んで火焔が刻まれている。国東塔を造立する目的は仏法興隆や寺院隆盛、あるいは死後の安楽を願う「逆修塔」や墓標としても造られた。 (宗教法人真木大堂のパンフ参照)

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 五輪塔
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 石灯籠
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 板 碑 (いたび)
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 案内版
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    国東塔
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2023/09/08

回想の寺277.富貴寺 ~ 熊野磨崖仏

大分県豊後高田市・2018年9月19日

六郷満山 富貴寺 (国宝)
地図

 
地形が険しい国東半島は古くから山岳信仰が盛んだった。奈良時代になるとこの地にも仏教が伝来し、それまでの山岳信仰は天台密教に取り込まれる。さらに、半島北西にある宇佐神宮の八幡信仰にも影響され、「六郷満山」とよばれる国東半島特有の仏教文化が誕生した。

 富貴寺はその六郷満山寺院のひとつで、天台宗である。富貴寺大堂は平安後期の建築で、平安時代に盛んに行われた阿弥陀堂建築の全国分布を示す好例だ。
宇治平等院鳳凰堂、平泉中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつに数えられ、九州に現存する最古の木造建築として貴重である。

 富貴寺大堂は、三間四間 (柱の間が三つと四つ) の総白木造の建物で、周囲に廻縁がある。屋根は一重の宝形造で大きく緩やかなカーブを描く。瓦葺だが一般的な本瓦葺ではなく、より古い様式の行基葺になっており、簡素な形と美しい屋根の線がどっしりとした安定感を感じさせる。内部は板敷で四天柱で内陣が区分され、阿弥陀如来像 (国指定重文) が安置されている。 (富貴寺のパンフ参照)


 富貴寺入口 
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 石段の参道   赤い花が印象的
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 萩の花
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 仁王門
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 さらに石段を上る 
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 境内にある板碑や石祠
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 九州最古の木造建築
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 阿弥陀堂建築の富貴寺大堂 (国宝)
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大分県豊後高田市・2018年9月18日

熊野磨崖仏

 国東半島の六郷満山の拠点の一つだった胎蔵寺から山道を300mほど登ると、鬼が一夜で築いたと伝わる自然石の乱積石段がある。さらにこの石段を登ると、左側の巨岩壁に大きな大日如来と不動明王の石仏 (熊野磨崖仏・国指定重文) が刻まれている。

 伝説では養老2 (718) 年に仁聞菩薩がつくったとされるが、磨崖仏造立の年代推定資料により鎌倉初期には大日、不動両像の存在が明確だ。また、胎蔵寺が記録に現れるのは仁安3 (1168) 年であることから、磨崖仏の造立は平安末期と推定されている。 (熊野磨崖仏管理委員会のパンフ参照)


 磨崖仏への参道
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    鳥 居
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鬼が築いた乱積石段」  鬼が一夜で築いたと伝わる自然石の乱積石段
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 日本一大きな磨崖仏
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 6.8mの大日如来像
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 8mの不動明王像
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 不動明王の横顔
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